「持続可能な開発」という言葉が当たり前のように使用されている。日本では、地球温暖化などの環境問題の文脈で多く語られる。
しかし,ヨハネスブルクサミットで採択されたアジェンダ21を読めば分かるように、「持続可能な開発」には、環境・経済・社会の3つの側面を持つ。いわゆるトリプルボトムラインの考え方である。
「衣食足りて…」ではないが、経済的に立ち行かない状態で環境や社会的な持続性を考えることなどできない。
日本で環境面の持続性が特に注目されているのは、日本が豊かだからである。一方で、世界中には経済的に持続的でない地域は多く存在する。地球が持続可能であるためには、二酸化炭素の排出削減も重要だが、それだけではないのだ。
アマルティア・センは「人間安全保障」を唱える。彼は、持続可能な人間開発にとって、人口爆発、経済的不平等、人口移動(難民流出)、環境悪化、薬物、国際テロなどを主要な脅威とし、経済、食糧、健康、環境、個人、地域社会、政治の7つの分野別安全保障を提起している。
1週間前、帰国間際に起こったあの一連のテロ。バリは、多くの外国人がバカンスで訪れるため、そしてインドネシアでは珍しくヒンズー教徒が多いため、そしてインドネシアの中では経済的に豊かであるために、狙われた。としぞうさんが書かれているように、かつてのバリはバリ・ヒンズーとイスラムが平和に共存していた。つまり社会的な持続性があった。しかし、国内にくすぶっていた富の偏在などに対する不満に、中東からの火が飛び火し、バリのみならずいろいろなところでテロや対立が起こった。すなわち経済的な持続性がなかったために、社会の持続性が損なわれたのだ。そして、その犠牲者は、外国人だけでなく、現地の人々が多くこれに巻き込まれている。
私たちは、そして環境分野では、よく「持続可能」という枕詞を使用する。しかし、我々が研究者として持続可能な開発に取り組む際には、経済や社会の持続性も忘れてはならないのだ。
もちろんこのようなことは当たり前で、私が今頃なぜそんなことを言い出したのかと思う人もいるだろう。しかし、「知っていること」と、「理解していること」は違うのだ。3つの持続性や7つの安全保障が重要だということは、私は知っていた。でも、知っていただけだ。
今回、ほんの数kmしか離れていない場所で、しかも1時間ほど前にはほんの近くにいた場所で起きたテロに巻き込まれたかもしれないという経験のなかで、その重要性が少しだけ理解できた。それと同時に、いかに軽々しく自分の研究の中で「持続可能」という言葉を利用していたことに気づいた。
犠牲者も多く出たなかで不謹慎といわれてもしかたかないが、私にとっては貴重で今後に繋がる体験であった。
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